今年の「全豪オープン」で、初めてのグランドスラム準々決勝進出を果たした世界ランキング26位、22歳のセバスチャン・コルダ(アメリカ)。元世界8位のラデク・ステパネク(チェコ)が、彼のコーチになる決断をした経緯を説明した。ステパネクは以前、世界王者ノバク・ジョコビッチ(セルビア)のコーチを務めたこともあるが、コルダとは特別なつながりがある。ステパネクによると、コルダ一家との長い付き合いを経て、自分は「コルダDNA」をいくらか受け継いでいるように感じるのだという。英Express紙が報じている。
コルダは「全豪オープン」3回戦で第7シードのダニール・メドベージェフ(ロシア)をストレートで、4回戦では第10シードのフベルト・フルカチュ(ポーランド)をフルセットの末に撃破。オーストラリアでの素晴らしい夏を継続させることを目指して準々決勝でカレン・ハチャノフ(ロシア)と対戦したが、残念ながら怪我で途中棄権を余儀なくされた。前哨戦の「ATP250 アデレード1」では決勝に進出し、ジョコビッチに対してチャンピオンシップポイントを握ったが、最終的に3セットで敗れていた。だがコルダはこの敗戦から立ち直り、「全豪オープン」でベスト8まで勝ち残った。
コルダには、既に「全豪オープン」との特別なつながりがある。彼が生まれる前の1998年に、父のペトル・コルダ(チェコ)がここで優勝したのだ。そんなコルダは、四大大会で後半まで勝ち進む上でコーチのステパネクが果たした役割に敬意を表した。そしてステパネクは、現役の頃にセバスチャンの父にコーチになってもらったことを明かした。
「去年、彼と一緒に“全仏オープン”に行った。一緒に行けるかと聞かれたから、もちろん行けると言ったよ。コルダ一家と僕の歴史はずっと昔まで遡るからね」と、ユーロスポーツが行ったインタビューの中で、ステパネクはコルダとの協力関係の始まりについて語った。
昨年ステパネクにコーチとしての助言を求めたのはコルダであったが、グランドスラムのダブルスで2度の優勝を果たしているステパネクは、20年以上も前に彼の父ペトルと自分が同じような立場にあったことを思い出した。
「2001年に僕はペトルに電話をかけて、助けてもらえないかと聞いた。僕の選手生活のその後16年の間、彼は僕のコーチを務めてくれた。だから、僕は少しだけコルダのDNAを受け継いでいると言えるね」ステパネクはこう言ってほほ笑んだ。
コルダ自身も、ステパネクと父ペトルと共に赴いた2009年の「全米オープン」での素敵なエピソードを明かしている。コルダはその時ステパネクとジョコビッチの試合を見て、自分もテニス選手になろうと思い立ち、テニスを始めたのだという。コルダはそれ以来、ステパネクと近しい関係を保ちながら成長した。ステパネクはこうも話している。「一家とはすごく親しいよ。僕はセビ(コルダの愛称)が子どもから大人に成長するのを見てきた」
ステパネクはまた、10年以上前に子どもだったコルダがテニスを始めることを決めた頃に、父ペトルが二人の関係を予言していたことを明かした。「いつか君が引退した頃、もしかしたら息子のコーチになるかもしれないね、と10年前にペトルが言ったのを覚えている。そして今、このとおりさ」
「当然、僕は前向きなエネルギーをできるだけ送ろうとしている。彼は少し内気に見えるかもしれないけれど、ちゃんと感情があるし、僕を信頼してくれている。コーチとして望むのは基本的にそういうことだ。つまり、選手に信頼されるということだね」とステパネクは語った。
(WOWOWテニスワールド編集部)
※写真は「全豪オープン」でのコルダ
(Photo by Clive Brunskill/Getty Images)