車いすテニス史上、最も素晴らしい功績を残した国枝慎吾(日本/ユニクロ)が先月、21年の輝かしいキャリアに幕を下ろした。ITF(国際テニス連盟)公式ウェブサイトなど、国際メディアがこぞって彼の引退と、その功績を報道。38歳の国枝は昨年、50個目のグランドスラムタイトルを獲得するとともに、生涯ゴールデンスラムを達成している。
9歳の頃に脊髄腫瘍を発病した国枝は、11歳で車いすテニスを始めた。2001年に17歳でツアーデビューし、シングルスで通算117回、ダブルスで83回優勝。デビューの2年後には「ワールド・チーム・カップ」での日本の勝利に貢献し、2004年には齋田悟司(日本/シグマクシス)とのペアで「アテネパラリンピック」男子ダブルスで金メダルを獲得。その後、パラリンピック5大会連続でメダルをとった唯一の車いすテニス選手となっている。
グランドスラムではシングルスで28回、ダブルスで22回優勝。初優勝は2006年「ウィンブルドン」の、齋田と組んだ男子ダブルスだった。そして彼の最後の、50回目の優勝も「ウィンブルドン」で、男子シングルス優勝を遂げたことにより生涯グランドスラムを達成した。
国枝は2007年に当時行われていたグランドスラムシングルスすべて、つまり3大会を制した(「ウィンブルドン」は2015年までダブルスのみだった)。2009年、2010年、2014年、2015年にも同じく3大会で優勝。2007年の「全豪オープン」から2011年の同大会までグランドスラム男子シングルスで連勝を続け、グランドスラム12大会を連覇した。「全豪オープン」は国枝が最も成功を収めたグランドスラムで、シングルスで11度の優勝を遂げている。
2008年、2012年、2016年には「全米オープン」の車いすの部は開催されなかったが、国枝はかわりに2008年「北京パラリンピック」と2012年「ロンドンパラリンピック」男子シングルスで金メダルを獲得。パラリンピックを連覇した最初の車いすテニス選手となった。
国枝は2006年に初めて世界ランキング1位に到達。2007年1月から2011年12月まで世界王者の座を守り続け、この間に4度年間王者の座に輝いた。2012年から2014年までシーズン最終戦を3連覇し、2012年にはシングルスとダブルスの2冠を獲得している。
キャリア最高の年となった2014年にはシングルスで12タイトルを獲得。だが肘を痛めて2016年には手術が必要になり、引退まで考えたことも。休養の後に戻って出場した2016年「リオデジャネイロパラリンピック」では、ダブルスで銅メダルをつかんだ。
国枝が完全復活したのはやはり2018年の「全豪オープン」で、続く「全仏オープン」でグランドスラムを連覇。同年の「アジア・パラゲームズ」で優勝し2020年「東京パラリンピック」への出場権を得るが、大会はパンデミックのせいで延期。それでも国枝はその年の「全豪オープン」と「全米オープン」で、グランドスラムタイトルをさらに増やした。
翌年開催された「東京パラリンピック」では、国枝は自国選手としてかけられた多大な期待のプレッシャーをものともしない見事なプレーで、3つ目のパラリンピックシングルス金メダルを獲得。わずか数日後に炎暑の東京からニューヨークへ飛び、8度目の「全米オープン」制覇を成し遂げている。
キャリア最後の年となった2022年、国枝は「全豪オープン」「全仏オープン」を制し、ついに念願の「ウィンブルトン」男子シングルスで初優勝を果たす。この年、国枝とアルフィー・ヒュウェット(イギリス)は何度も世界1位の座を奪い合ったが、国枝がシーズン最終戦「NEC車いすテニスマスターズ」でベスト4に進出したことにより年末1位が確定し、10度目の年間王者の座を手にした。国枝のシングルスでの通算世界1位在位週は582週。ATPツアーのトップはノバク・ジョコビッチ(セルビア)の373週なので、国枝は現時点で200週以上長い。
国枝が最後にタイトルを獲得したのは「楽天ジャパンオープン」決勝で、最終セットのタイブレークで16歳の小田凱人(日本/東海理化)を倒した時だった。「国枝の後継者」と目される小田を始めとするたくさんの車いすテニス選手たちが、これからも国枝の大いなる遺産を引き継いでいってくれることだろう。
なお先日、元世界4位の錦織圭(日本/ユニクロ)、同じく元世界4位の伊達公子さん、昨年引退した奈良くるみ(日本/安藤証券)、テニスコーチや解説者を務める坂本正秀氏などが国枝の引退パーティをしたそうだ。国枝がみんなの笑顔の写真、大きなケーキの前でガッツポーズをとる写真などをSNSに投稿している。
(WOWOWテニスワールド編集部)
※写真は「楽天ジャパンオープン」での国枝
(Photo by WOWOWテニスワールド)