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2つの国籍でグランドスラム優勝を果たした3人の選手とは?

優勝した1996年「全豪オープン」のセレス

2つの違う国籍でグランドスラム優勝を遂げた選手たちの中では、おそらくモニカ・セレス(ユーゴスラビア→アメリカ)が最も偉大な選手であろう。スポーツの世界で、選手が国籍変更をするのはさほど珍しいことではない。最近のテニス界ではダリア・サビル(ロシア→オーストラリア)、イバン・ドディグ(ボスニア・ヘルツェゴビナ→クロアチア)、ジョハナ・コンタ(オーストラリア→イギリス)、キャメロン・ノリー(ニュージーランド→イギリス)、エレナ・リバキナ(ロシア→カザフスタン)らがそうしている。

ロシアの選手としてキャリアをスタートしたリバキナは、2018年に国籍をカザフスタンに変更。今年「ウィンブルドン」を制して、グランドスラムのシングルス優勝を遂げた初めてのカザフスタン人選手となった。だが2つの国籍両方でグランドスラムで優勝するというのは、誰にでもできることではない。スポーツウェブメディアSportskeedaが、それを達成した3人の選手を紹介している。

1.モニカ・セレス(ユーゴスラビア→アメリカ)

テニスの歴史上最も偉大な選手たちの一人であるセレスは、1990年代初めに活躍。当初はユーゴスラビアの選手としてプレーし、1990年の「全仏オープン」決勝で、もう一人の偉大な選手シュテフィ・グラフ(ドイツ)を倒して初めてのグランドスラムタイトルを獲得。翌1991年、セレスは出場しなかった「ウィンブルドン」以外の3つのグランドスラムで優勝。続く1992年も同じ結果を残し、唯一「ウィンブルドン」では決勝でグラフに敗れた。

1993年、セレスは「全豪オープン」を制するが、同年4月に「グラフのファン」を自称する男に刺され、身体と心に深い傷を負ってしまう。セレスはテニス界に復帰を果たすまで2年を要した。1994年にアメリカの市民権を取得し、1995年にアメリカ人選手としてツアーに復帰。その後もいくつかの大きな大会を制したが、事件以前の輝きとは比ぶべくもなかった。セレスは1996年の「全豪オープン」で優勝して、2つの国籍でグランドスラムを制した選手となった。

2.ハナ・マンドリコバ(チェコスロバキア→オーストラリア)

マンドリコバはチェコのプラハで生まれ、チェコスロバキアの選手としてキャリアをスタート。18歳の時に「全豪オープン」で優勝し、初めてのグランドスラムタイトルを獲得した。当時は偉大なるマルチナ・ナブラチロワ(チェコ→アメリカ)の全盛期だったが、マンドリコバは1981年には「全仏オープン」、1985年には「全米オープン」、1987年には再び「全豪オープン」で優勝を果たした。

1988年にオーストラリアの市民権を獲得したマンドリコバは、オーストラリア選手としてプレーするようになった。マンドリコバはナブラチロワとペアを組み、1989年「全米オープン」の女子ダブルスで優勝した。

3.ヨハン・クリーク(南アフリカ→アメリカ)

クリークは通算で2度、グランドスラムを制した。最初は南アフリカの選手として、1981年の「全豪オープン」でのことだった。当時トップ選手の多くは「全豪オープン」に出場しなかったので、世界ランキング19位だったクリークは第4シードとして出場し、タイトルを勝ちとった。

翌1982年にクリークはアメリカ市民となった。この年、第1シードとして「全豪オープン」に出場したクリークは、今度はアメリカ人選手として大会連覇を果たしたのだった。

(WOWOWテニスワールド編集部)

※写真は優勝した1996年「全豪オープン」のセレス
(Photo by Mark Sandten/Bongarts/Getty Images)

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