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ジョコビッチがキャリアで最もつらかった敗戦とは?

「ATP500 ドバイ」でのジョコビッチ

これまで、ノバク・ジョコビッチ(セルビア)は数え切れないほどの大会で優勝しているが、一方で敗北も経験している。元世界王者の一番つらかった敗戦とはどの一戦なのだろうか。スポーツウェブメディアSportskeedaが伝えている。

ジョコビッチがなかなか次に切り替えられないほど悔しかった敗戦とは、2016年の「リオデジャネイロオリンピック」でのものだった。2016年のオリンピックでは、1回戦でフアン マルティン・デル ポトロ(アルゼンチン)が7-6(4)、7-6(2)でジョコビッチを下し、大きな番狂わせを演じた。絶好調のデル ポトロは41本のウィナーを決め、2時間27分で試合を終わらせた。

インタビューで、ジョコビッチはデル ポトロに敗れた「リオデジャネイロオリンピック」1回戦が、キャリアで最もつらい敗戦だったと語った。

「キャリアの中で最もつらかった瞬間の一つだ。リオで行われたオリンピックには、大きな期待を抱いていた。当時世界ランキング1位だったし、グランドスラムで4大会連続優勝していた。結果という意味でも、プレーの質という意味でも、自信という意味でもキャリアのピークにいた。もし金メダルを獲得する、または金メダルを争う時があるとすれば、その時だと感じていた」

体格に恵まれたデル ポトロは、第1セットをタイブレークの末51分で勝ち取った。デル ポトロのウィナーは20本、ジョコビッチは半分の10本だった。デル ポトロは第2セットも勢いを失わず、21本のウィナーを決め、アンフォーストエラーは9本に抑えた。デル ポトロは4年前の「ロンドンオリンピック」でも、銅メダルを懸けた3位決定戦でジョコビッチにストレート勝ちし、メダルへの夢を阻んでいた。

ジョコビッチはオリンピックという大舞台のプレッシャーに負けたと考えている。

「自分自身にあまりに大きなプレッシャーと期待をかけてしまって、耐えきれなかった。そのプレッシャーが大き過ぎて、どうすれば適切に対処できるのかわからなかった。そして怪我をして、デル ポトロとの1回戦で負け、彼はその後銀メダルを獲得した」とジョコビッチは当時を振り返った。

ジョコビッチは、「東京オリンピック」の舞台で再び金メダルに挑戦するチャンスを得た。メダル獲得に向け気合を入れて準決勝に進出したジョコビッチの前に、アレクサンダー・ズベレフ(ドイツ)が立ちはだかった。

試合前半はジョコビッチのペースで進みセットを先取。第2セット、ゲームカウント3-2でリードしていたところで、ズベレフが試合の流れを引き寄せた。最後の11ゲームのうち10ゲームを取ったズベレフは、1-6、6-3、6-1で勝利し、決勝への切符を手にした。

ジョコビッチのファーストサーブでのポイント取得率は56%と低く、16本のアンフォーストエラーを記録。ズベレフが36本のウィナーを決めたのに対し、ジョコビッチのウィナーは13本だった。敗退したジョコビッチは3位決定戦で、パブロ・カレーニョ ブスタ(スペイン)と対戦。銅メダル獲得がほぼ確実視されていたにも関わらず、ジョコビッチは冷静さを失いたびたびラケットを破壊。カレーニョ ブスタが6-4、6-7(6)、6-3で勝利した。

「昨日も今日も実力が出せなかった。プレーのレベルが下がってしまった。精神的にも肉体的にも疲れてしまったせいもある。でも全力を尽くしたよ。多くはなかったけれど残っていた燃料すべてを使ってね」とジョコビッチは試合後の記者会見で語った。

ジョコビッチはニーナ・ストヤノビッチ(セルビア)とペアを組んだ混合ダブルスで銅メダルをかけてオーストラリア代表のアシュリー・バーティ(オーストラリア)/ジョン・ピアース(オーストラリア)ペアと対戦する予定だった。しかし、ジョコビッチが左肩を痛めたため試合を棄権、オーストラリアペアが銅メダルを手にした。

ジョコビッチは2008年の「北京オリンピック」で銅メダルを獲得して以後、スポーツの祭典での表彰台から遠ざかっている。

(WOWOWテニスワールド編集部)

※写真は「ATP500 ドバイ」でのジョコビッチ
(Photo by Francois Nel/Getty Images)

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