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「全米オープン」を制した最もランキングの低い男子選手とは?

1990年「全米オープン」でのアガシ

「全米オープン」は他の3つのグランドスラムよりも高頻度で意外な優勝者を輩出する傾向があり、特に世紀が変わってからはその傾向が強い。21世紀に入ってから、「全米オープン」では実に8人ものグランドスラム初優勝者が生まれてきた。そのほかのグランドスラムで生まれた初優勝者の数は、「全豪オープン」が3人、「全仏オープン」が4人、そして「ウィンブルドン」が2人と、3大会合わせて「全米オープン」とほぼ同数となっている。これに関連して、「全米オープン」を制した最も世界ランキングの低い男子選手5人を、スポーツウェブメディアSportskeedaが紹介している。

「全米オープン」は他の3つのグランドスラムよりも高頻度で意外な優勝者を輩出する傾向があり、特に世紀が変わってからはその傾向が強い。21世紀に入ってから、「全米オープン」では実に8人ものグランドスラム初優勝者が生まれてきた。そのほかのグランドスラムで生まれた初優勝者の数は、「全豪オープン」が3人、「全仏オープン」が4人、そして「ウィンブルドン」が2人と、3大会合わせて「全米オープン」とほぼ同数となっている。これに関連して、「全米オープン」を制した最も世界ランキングの低い男子選手5人を、スポーツウェブメディアSportskeedaが紹介している。

第5位:ピート・サンプラス(アメリカ) 12位(1990年)
サンプラスは特にグラスコートでは卓越しており、「ウィンブルドン」を7度制している。しかしハードコートでも強さを見せつけており、「全豪オープン」で2度、「全米オープン」では5度タイトルを獲得している。

サンプラスがグランドスラムのタイトルを初めて手にしたのは1990年の「全米オープン」でのことで、この時サンプラスはオープン化以降に10代で同大会を制した初めてかつ唯一の選手となった。当時世界12位であったサンプラスは、自信を持って大会序盤を勝ち上がり、4回戦まで落としたセットの数はわずか1つ。

当時19歳であったサンプラスは準々決勝で、第3シードのイワン・レンドル(アメリカ)に対し2セットのリードを一度はタイに戻されながらも勝利を収めてベスト4に入った。準決勝では「全米オープン」で4度の優勝経験を持つジョン・マッケンロー(アメリカ)を4セットで下し、決勝では同胞で世界4位のアンドレ・アガシ(アメリカ)を相手に番狂わせを演じて、歴史を作った。サンプラスはこれ以降、グランドスラムでさらに13度優勝しており、そのうち4度が「全米オープン」での優勝だ。

第4位:パトリック・ラフター(オーストラリア) 14位(1997年)
ラフターは1997年の「全米オープン」でグランドスラムでの躍進を遂げた。3回戦でリオネル・ルー(フランス)を破ったラフターは、同大会で初の4回戦進出。だが、それで終わりではなかった。

ラフターは1994年の優勝者アガシを撃破し、続いてマグナス・ラーション(スウェーデン)とマイケル・チャン(アメリカ)を立て続けにストレートで退けて、初のグランドスラム決勝進出を果たした。

当時世界14位であったラフターは、同じくグランドスラムの決勝に初めて進出したグレッグ・ルゼツキー(イギリス)を4セットで破り、「全米オープン」の頂点に登り詰めた。ラフターは翌年にタイトル防衛に成功し、オープン化以降に「全米オープン」のタイトル防衛に成功した一握りの選手の仲間入りをした。

第3位:マリン・チリッチ(クロアチア) 16位(2014年)
チリッチは、2014年の「全米オープン」でおとぎ話のような優勝物語を刻んだ。それまでに「全米オープン」で2度準々決勝に進出していたチリッチのプレーはハードコートに適していたが、この年にチリッチが頂点にまで上り詰めると考えた人はほとんどいなかったであろう。

ひょろりと長身のチリッチは、3回戦でケビン・アンダーソン(南アフリカ)を下すのに4セットを要した。続いてジル・シモン(フランス)には5セットの末に勝利し、同大会で2年連続の準々決勝進出を果たした。

チリッチはさらにここからギアを上げ、キャリア最大のタイトル獲得まで1セットも落とすことはなかった。トマーシュ・ベルディヒ(チェコ)を破った後、準決勝ではつけ入る隙のないテニスを見せて当時世界3位のロジャー・フェデラー(スイス)を破った。世界16位であったチリッチは、同じく初めてグランドスラム決勝に進出した錦織圭(日本/ユニクロ)を6-3、6-3、6-3で下してグランドスラム制覇を果たした。これにより、身長198㎝のチリッチは、2009年の覇者フアン マルティン・デル ポトロ(アルゼンチン)と並んで、史上最も長身のグランドスラム優勝者となった。

第2位:ピート・サンプラス(アメリカ) 17位(2002年)
2002年の「全米オープン」まで、サンプラスは2年間グランドスラムで優勝しておらず、このシーズンは13年間で初めてグランドスラムの準々決勝にも進めていなかった。サンプラスが「全米オープン」の頂点に駆け上がるとは期待されていなかったが、彼はまさにそれをやってのけた。

彼の輝かしいキャリアの最後の大会ともなったこの大会で、当時世界17位であったサンプラスは最多記録に並ぶ5度目の「全米オープン」タイトルを手にし、テニス界のレジェンド選手であるジミー・コナーズ(アメリカ)と肩を並べた。サンプラスは1セットも落とさず1回戦と2回戦を突破すると、3回戦では1997年の準優勝者ルゼツキーとフルセットまでもつれ込むもなんとか勝利を手にする。

サンプラスは続いて第3シードのトミー・ハース(ドイツ)を4セットで下し、準々決勝では年下の同胞で未来のチャンピオンでもあるアンディ・ロディック(アメリカ)を破った。続く準決勝でもシェン・シャルケン(オランダ)にストレート勝ちを果たし決勝へ辿り着いた。

2000年と2001年の「全米オープン」決勝で立て続けに敗れていたサンプラスは、アガシと同大会の決勝で3度目の顔合わせとなった。これを6-3、6-4、5-7、6-4で勝利し、選手生活を締めくくった。これはサンプラスにとって14回目のグランドスラム優勝であったが、この記録は7年後の「ウィンブルドン」でフェデラーに追い抜かれることとなる。サンプラスが持つ「全米オープン」での5度の優勝という最多記録も、後に同じくフェデラーに並ばれることとなった。

第1位:アンドレ・アガシ(アメリカ) 20位(1994年)
1994年の「全米オープン」でのアガシの優勝もほとんど期待されておらず、予想外の快進撃となった。この年のアガシのグランドスラムでの成績は、「全仏オープン」での2回戦進出、「ウィンブルドン」での4回戦進出と、さほど話題になるものではなかったからだ。

しかしながら7月の「ATP1000 トロント」で優勝を果たしたアガシは、その1ヶ月後の「全米オープン」で飛躍する。グランドスラムでは2001年まで、シード付きで出場する選手が16人だけであったため、当時世界20位であったアガシはノーシードで出場した。これはつまりアガシにとって厳しい対戦ドローになるということだったが、それら全てを切り抜けてみせた。

アガシは5人のシード選手と対戦したが、その全員を立て続けに破ったのだ。3回戦で第12シードのウェイン・フェレイラ(南アフリカ)をストレートで下したアガシは、続く試合で第6シードのチャンに長丁場を強いられたがこれも勝利。当時24歳だったアガシは、さらに第13シードのトーマス・ムスター(オーストリア)と第9シードのトッド・マーティン(アメリカ)を下して、4年ぶりの「全米オープン」決勝に戻ってきた。

アガシは頂上決戦で第4シードのミハエル・シュティヒ(ドイツ)をストレートで破り、タイトルを我が物とした。アガシが次に「全米オープン」を制したのはこれから5年後のこと。その1999年はアガシが「全仏オープン」を初制覇し、ロッド・レーバー(オーストラリア)以降で初めてキャリア・グランドスラムを達成した選手となったシーズンだった。

(WOWOWテニスワールド編集部)

※写真は1990年「全米オープン」でのアガシ
(Photo by Bongarts/Getty Images)

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