ニュース News

ウィンブルドン・センターコート100年の歴史を振り返る

「ウィンブルドン」のセンターコートの詳細が書かれたプレート

テニス界最高峰の舞台「ウィンブルドン」は、その有名なグラスコートの上で魅力的な試合を繰り広げてきただけでなく、社会の歴史にも浸透してきた。この神聖な場所の記念すべき瞬間を、「ウィンブルドン」公式ウェブサイトが紹介している。

■王と銅鑼
1922年にジョージ5世王によってチャーチ・ロード沿いの新たなオール・イングランド・ローン・テニス・クラブ・グラウンドが正式に除幕されたとき、使われたのはトランペットのファンファーレでも軍隊のドラムの連打でもなく、アジアに起源があると言われる打楽器、銅鑼の3連打であった。自然なことだが、式典には雨による遅延が生じた。

■初のシングルス王者
新しいセンターコートで初のシングルス王者となったのは、モーラ・ビュルステット マロリー(ノルウェー)を6-2、6-0と、わずか23分で下したスザンヌ・ランラン(フランス)であった。この勝利は今でも、女子シングルス決勝史上最短だ。

■Sidneyの靴下
1927年に、15歳のSidney Wood(アメリカ)は、伝統的な長ズボンではなく白のプラスフォーズ(ゆったりした半ズボン)とゴルフ用靴下で出場して世間を驚愕させた。しかし、センターコートから初のラジオ放送を行っていたコメンテーターには、彼らの表現力を発揮する機会を存分に与えた。

■裾の長さがヘッドラインを飾る
1931年、Joan Lycett(イギリス)はセンターコートで試合に出場した女子選手として初めて短いスカートを履いただけでなく、驚くべきことにストッキングをやめて、くるぶし丈の靴下を履いて出場した。

■フレッド・ペリー(イギリス)が短く甘く
ペリーは、Gottfried von Cramm(ドイツ)を6-1、6-1、6-0のわずか40分の試合で破り、3年連続で「ウィンブルドン」のタイトルを獲得した。これは男子シングルスの決勝での最短記録であった。そしてイギリス人男子選手のチャンピオンはこの1936年以降、2013年にアンディ・マレー(イギリス)が優勝を果たすまで、77年間現れなかった。

■全員で感謝祭
1937年のジョージ6世の戴冠式の3日前、新たな王のための宗派横断的な感謝の儀式がセンターコートで行われた。さらにこの年は、「ウィンブルドン」のテレビ放送が始まった年でもあった。BBCの放送は毎日センターコートから最大30分間行われた。これにより、大会開催中の2週間の間には有無を言わさずソファーを占領するというイギリスの夏の習慣が生まれたのだ。

■1940年から1945年:軍隊入り
第2次世界大戦中、大会は中断され、軍隊がグラウンドとクラブハウスを様々な目的のために使用した。センターコートの下の、現在は苺のヘタを取る作業が行われている場所には、かつてガス攻撃に備えて設置された除染室があった。

■爆発的な時期
1940年10月に、500ポンド(約227kg)の爆弾がセンターコートに落ちた。これにより、戦後すぐの3大会においては1,200席の観客席が失われていた。大会が再開した際、軍隊との連携は続き、陸軍、王立海軍、王立空軍の人員が係員として参加するようになった。この伝統は現在も続いている。

■長ズボンを履いた最後の王者?
これは1946年のYvon Petra(フランス)のことだ。翌年のJack Kramer(アメリカ)は、初めての半ズボンを履いたシングルス覇者であった。

■華々しい瞬間
1957年に、エリザベス2世女王が初めて大会に出席し、アフリカ系アメリカ人選手として初めてシングルスで優勝したアリシア・ギブソン(アメリカ)に優勝杯を贈呈した。女王は5年後にも再び大会に出席し、ロッド・レーバー(オーストラリア)が自身初の年間グランドスラムを達成した年に、彼にコート上で優勝杯を手渡した。

■1966年、ビリー・ジーン・キング(アメリカ)の初のシングルス制覇の何が特別であったか?
キングは選手生活を通していくつもの「初」を切り拓いたが、彼女は決勝で眼鏡をかけた初の女子優勝者としても歴史に名を残している。

■カラーテレビで放送された最初の試合に出場していたのは?
これは1967年のことであり、歴史的なBBC2の放送では、Roger Taylor(イギリス)とCliff Drysdale(南アフリカ)の試合が伝えられた。

■正しい王室ラケット
初めて金属のラケットを使った「ウィンブルドン」王者は誰だったか?そして、どの王室メンバーがセンターコートでそれに触れたか?それは1968年のキングだ。そしてキングがラケットの特徴について説明する間、それを手に持っていたケント公爵夫人マリナ妃であった。

■座るか座らないか?
コートチェンジの際に選手たちが使えるように椅子が用意されたのは、1975年になってからのことであった。

■蜂騒動
1982年に、パム・シュライバー(アメリカ)とその対戦相手で同胞のKathy Rinaldi(アメリカ)の周りを蜂の群れが飛び交った。ボレーの技術で名高いシュライバーは、自分のラケットで蜂を叩いて追い払ったが、リナルディは腕を刺されてしまった。

■センターコートでの試合中にプロポーズされたのは?
これはシュテフィ・グラフ(ドイツ)が1996年に伊達公子さんとの準決勝を戦っていた時のこと。「シュテフィ、僕と結婚してくれる?」という叫び声が観客席のファンから飛び、グラフは一拍置いてから、微笑んでこう叫び返した。「あなた、いくらお金持ってるの?」

(WOWOWテニスワールド編集部)

※写真は「ウィンブルドン」のセンターコートの詳細が書かれたプレート
(Photo by Julian Finney/Getty Images)

【ウィンブルドン2022】
本大会初!WOWOWオンデマンドで最大10コートを配信
◆放送・配信スケジュールはこちら>>

WOWOWテニスワールド編集部

WOWOWテニスワールド編集部

facebook twitter

速報や最新ニュース、グランドスラム、ATP、WTAなどの大会日程と試合結果情報など、テニスのすべてをお届けします!

WOWOWテニスワールド

  1. Home
  2. ニュース
  3. ウィンブルドン・センターコート100年の歴史を振り返る