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故郷の小さな町から子供の頃の夢を叶えたチリッチ

2021年「ATP250 シュトゥットガルト」でのチリッチと息子

先日、自身初の「全仏オープン」準決勝進出を果たしたマリン・チリッチ(クロアチア)。農家出身のチリッチがどのようにしてプロテニス選手になるという夢を叶えたのか、そしてなぜ子供たちの夢を叶えることに力を入れているのかについて語った。ATP(男子プロテニス協会)公式ウェブサイトが伝えている。

「それじゃ、誰が農場で働くんだ?」当時14歳だった父に祖父がそう尋ねた時、タバコ農場で働くという父の運命が決まった。サッカークラブの監督だった父の叔父が、ボスニア・ヘルツェゴビナの小さな町メジュゴリェにいる彼らを訪ねていた時だった。彼は父をクロアチアに連れていき、教育を受けさせ、サッカーをさせたがっていた。父はサッカーがすごく好きだったので、それは素晴らしいことだった。

でも父は農場やぶどう園で両親を助けなければならなかった。祖父母は苦労して生計を立てる方法しか知らない上、彼らだけではやっていけなかった。父が農場の先を見据え始めた時には…彼はやがてビジネスを始めるのだけれど…既に遅すぎた。人生の早い段階で家にとどまったことで、子供の頃の夢を追いかけられなかった。それは自分の子供たちの生き方ではないと、両親はこの悪循環を断つ時だと決心していた。

メジュゴリェは人口4000人ほどの町で、聖母マリアが現れることで知られているけれど、スポーツでは無名だ。僕がテニスを始める数年前に、町に初めてテニスコートが作られた。ゴラン・イバニセビッチ(クロアチア)の活躍でテニスの人気が出たからだ。両親は、僕がテニスを始めるよう後押ししてくれた。当時ドイツに住んでいた叔父といとこがテニスをしていたのも理由の一つだった。僕が7歳の頃に彼らが家に来た時に、僕はテニスを始めた。でも、周りには援助も少なく、僕が練習を始めたコートはでこぼこのひどい状態だった。

そこで、父の建築好きが上手く働いた。彼にテニスの経験は無く、テレビで見たことがあるだけだった。でも、地域の他の人達がオフィスや企業に貸すスペースを建設している間、父は僕たち兄弟がテニスで成し遂げられることを想像していた。僕の家にはとても大きな裏庭があって、1996年、僕が8歳の時に父はそこにテニスコートを作る決心をした。祖父母は父のアイディアは全く馬鹿げていると言った。本当に普通では考えられないことだった。

でも父にはビジョンがあった。そして僕が人生で成功できるよう、最高の機会を与えたいと思っていた。気が付くと大きなトラックが来て土を降ろしていった。その下には砂や排水管があった。庭のホースにつなげていた水道管はあまり太くなかったから、夏の間はほぼ2時間かけてテニスコートに水を撒かなければいけなかったことを今でも覚えている。コートに水を撒く時間のほうが、プレーする時間より長いことも多かった!

でも、そのコートがあって幸運だということは分かっていた。僕の町で、テニスで成功するのに何が必要か分かっている人はいなかった。プレーする人は多少いたけれど、趣味でやっているだけだった。コートがあるというだけで有利な状況だった。そのお陰で、僕はテニスをどんどん好きになっていった。

家族が努力をしてくれたから、僕は責任を感じて、すべてのことに真剣に取り組んだ。熱心に練習し、すべての指導に従った。若い頃から才能を示した僕は、10分ほど離れた町でコーチと練習を重ねた。でも、選手として成長するためのそれ以外の機会は殆どなかった。

僕が13歳の時、「ウィンブルドン」に出場するという僕の夢を誰かが記事にした。でも、僕の家族や町が持っていた資源では夢のまた夢だった。メジュゴリェでは、友達のイバン・ドディグ(クロアチア)と彼の弟の他に練習相手はほとんどいなかった。14歳の時、僕は人生最大の決断を迫られた。家族と共に家に留まり学校へ行くか、クロアチアテニス連盟のトレーニングセンターがあるザグレブに行って、向上する最大の機会を得るか。

家族の元を離れるのはとても苦しいことだと分かっていた。家族は僕の全てだったから。でも彼らが応援してくれたのもあって、僕は引っ越すことにした。辛い日もかなりあった。幸運なことに、ザグレブはそこまで遠くなかったから、時折は実家に帰ることもできた。

6〜8週間ごとに、夜9時か10時にバスに乗って、翌朝6時か7時に着く。バスに乗りながら、プロテニス選手になるという夢について考えていた。実現しそうにない夢だったけれど、最大限の努力をしていた。

ザグレブでは、一度も練習を休んだことはなかった。この機会を真剣にとらえていたし、その年齢で、特に親元を離れた状態では難しかったけれど、努力を怠ることはなかった。すごく辛かった。名付け親とその奥さんの家に住んでいて、彼らは優しかったけれど、家族や共に育った友人と離れて都市に住むことは大きな変化だった。でも、僕の強さや冷静さ、心の平穏は、親のしつけや家族の支援があったからだと思う。それに、神が正しい方向に導いてくれるといつも信じていた。

僕はいつもこの頃のことを思い出すようにしている。なぜなら人は何かを得るともっともっと欲しくなるからだ。僕は時にコートの上で楽しんでいない自分を見出す。テニスを始めた頃は、いつも楽しいからプレーしていた。だからプロテニス選手として良い時でも悪い時でも、いつも楽しむことを自分に思い出させる。

現役生活の中で、果たして大きなタイトルが取れるのか、夢が実現できるのかと考えてしまうこともある。でも、最初から与えられる物は何もない。僕が「ウィンブルドン」を夢見ていた頃の記事を両親は未だに持っているけれど、それはここに来るまでどれだけ努力が必要だったかを思い出させてくれる。「ウィンブルドン」でプレーするという夢は叶えられ、「ウィンブルドン」と「全豪オープン」で決勝に出場でき、「全米オープン」では優勝した。7歳の頃に両親の家の裏庭で大好きになったスポーツをプレーしながら、人生の大部分を送ってきた。

プロ選手になれただけでも驚くべきことだ。実現するとは思わなかったいくつもの夢を叶えてきた。だから、どうすれば同じように他の人たちを助けることができるだろうかと考えてきた。もし僕がチャンスを与えられなかったら…もし両親が裏庭にテニスコートを作らず、僕がザグレブに移住せず、もし適切な時にコーチに出会っていなかったら…多分ここまで来られなかっただろう。

2016年にマリン・チリッチ財団を創設したのは、そういう考えがあったからだ。援助が必要な子供たちを助けるために、できることすべてをやっている。世界には、発展途上国出身だったり、家族からの支援を得られなかったりする才能ある子供たちが多くいる。その子たちの才能は輝く機会がない。僕は、すべての子供たちが同じチャンスを与えられ、最大限の可能性を達成できる世界が来ることを願っている。

子供たちを助けることですごく前向きな感情をもらっている。彼らが嬉しいと、僕も嬉しい。僕も同じ経験をしたから、彼らの気持ちがよく分かる。ザグレブから家に帰るバスの中で、本当にいつかプロテニス選手になれるだろうか、と疑問に思っていた。どんな未来になるのか、目標が達成できるのか分からなかった。今、同じ疑問を抱えているすべての子供たちために、彼らの夢が叶えられるよう僕は何でもするつもりだ。

(WOWOWテニスワールド編集部)

※写真は2021年「ATP250 シュトゥットガルト」でのチリッチと息子
(Photo by Christian Kaspar-Bartke/Getty Images)

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