元「全米オープン」チャンピオンのフアン マルティン・デル ポトロ(アルゼンチン)が、現役引退の可能性を示唆した。ATP(男子プロテニス協会)公式ウェブサイトほか複数のメディアが報じている。
20歳の時に2009年の「全米オープン」でグランドスラム初優勝を飾り、2018年には世界ランキング3位に到達したデル ポトロ。2012年の「ロンドンオリンピック」で銅メダルを、2016年の「リオデジャネイロオリンピック」では銀メダルを獲得した。だが2019年6月の「ATP500 ロンドン」で右膝を痛め、その後4度にわたって同箇所を手術していた。
しかし先日、2年半ぶりの公式戦復帰を果たすことが明らかに。これから立て続けに開催される2つの大会、「ATP250 ブエノスアイレス」(アルゼンチン・ブエノスアイレス/2月7日~2月13日/クレーコート)と「ATP500 リオデジャネイロ」(ブラジル・リオデジャネイロ/2月14日~2月20日/クレーコート)にワイルドカード(主催者推薦枠)で出場することになっている。キャリアを通じて何度も怪我に苦しんできたデル ポトロは、2011年と2016年の2度、ATPの「カムバック賞」を受賞している。
そんな中、現在33歳のデル ポトロが現地5日、復帰に向けた記者会見の中で引退の可能性について語った。
「僕はいつだってどんなことも乗り越えてきた。扉を閉じたくはない。(また試合に出られることに)すごくワクワクしているよ。だって僕はテニスを愛しているからね」
「今日は間違ったメッセージを与えないよう、正直にならなければならない。過去2年半の間に僕が発してきたメッセージは必ずしも現実に即したものじゃなかったからね。本音を言えば、今回はこれまでのように奇跡の復活を果たしたわけじゃない。身体的に限界があることはわかっているんだ。どうなるか見てみないといけないけどね」
「この怪我をして以来、諦めないとずっと言ってきた。お別れは会見上でなくコートの上でするべきだろう」
そのように語ったデル ポトロは、医師を代えてもあらゆる治療法を試しても完治しない膝の怪我を「悪夢」と描写。それにより私生活でもずっと悩まされていることを説明した。「この2年半、寝ながらも痛みに苦しんできた。以前は故郷のタンディルへ向かうのに3時間半運転していたけど、今は足を伸ばしていなければならないからそれもできなくなった。そんな生活は気に入らないけど、そうしなければならないんだ。僕の闘いは、健康と生活の質を得るための闘いなんだよ」
「不運なことに、僕はこれまでに多くの怪我を経験してきた。それでも、成し遂げたいことの多くを実現することができた。多分、今回はこれまでのような奇跡的な復活とはならないだろう。今の僕にとってプレーすることは本当に難しいんだ。特に、スポーツの範疇を超えて日々の生活にも苦労しているからね」
「正直になるなら、僕がこれから奇跡を起こすとは言えない。だってそれは真実じゃないからね。自分にテニスの能力があることはわかっている。でも、身体的な限界があることも知っているんだ。これからどうなるか見てみよう」
デル ポトロは8日、「ATP250 ブエノスアイレス」1回戦で同胞の世界41位フェデリコ・デルボニスと対戦する。
「火曜日にプレーするのが待ちきれないよ。このために4度目の手術を受けたんだ。フェデ以上の対戦相手は望めないね。彼とはずっと一緒に幸せな日々を過ごしてきたから」
「火曜日は苦悩や悲しみを乗り越えて、忘れられない一日にしたい。(地元の)ブエノスアイレスで大会が行われることは、“この時しかない!”という気分にさせてくれたからね」
会見中、落ち着いたトーンで語っていたデル ポトロだが、途中で感情が込み上げてしまい、涙を拭ったり言葉に詰まるシーンも見られた。
現在ランキングが757位まで下がっているデル ポトロがブエノスアイレスの大会に出るのは、17歳だった2006年大会以来2度目。その時は、1回戦で元世界1位のフアン カルロス・フェレロ(スペイン)に敗れている。先日には、会場で練習する様子をInstagramに投稿。「またここに戻ってこられて嬉しいよ!!!」というメッセージを添えている。
(WOWOWテニスワールド編集部)
※写真は右膝を最初に負傷した2019年「ATP500 ロンドン」でのデル ポトロ
(Photo by Hannah Fountain - CameraSport/Getty Images)
空いた時間にテニスがしたい。そんなあなたのための単発レッスン予約サービス「テニモ」
単発レッスン予約、都度払いでOK。入会金、月会費は0円。関東中心にサービスを展開中。
詳細はこちら>>