テニス界の最強姉妹、ビーナス・ウイリアムズ(アメリカ)とセレナ・ウイリアムズ(アメリカ)のウイリアムズ姉妹は、これまでに31度、互いと対戦しており、現代の女子テニスにおいて最も対戦回数の多いライバル関係にあると言える。この四半世紀の間に行われた二人の対戦のうち最も忘れがたいものを、米テニスメディアBaselineが紹介している。
初対戦:1998年「全豪オープン」2回戦(ビーナスが勝利)
二人のライバル関係の前兆となる素晴らしい形で、ビーナスとセレナは公式試合での初対戦をロッド・レーバー・アリーナで迎えた。後に2人が対戦した9度のグランドスラムの決勝のうち2度は、このコートで行われている。当時17歳のビーナスが16歳のセレナに7-6(4)、6-1でストレート勝利した。
3度目の対戦:「WTA1000 マイアミ」決勝(ビーナスが勝利)
初対戦から14ヶ月後、これまでに二人が対戦した12回の決勝のうち最初のものが、グランドスラムに次ぐ規模の地元マイアミの大会で行われた。この時はビーナスがセレナを6-1、4-6、6-4のフルセットで破った。
6度目の対戦:2001年「全米オープン」決勝(ビーナスが勝利)
ウイリアムズ姉妹が初めてグランドスラムの決勝で互いと対峙した時、二人が黄金期を築く存在であることがニューヨークで証明された。アーサー・アッシュ・スタジアムの照明の下で行われたこの試合では、ビーナスが6-2、6-4で勝利して四大大会4度目の優勝を果たした。
11度目の対戦:2003年「全豪オープン」決勝(セレナが勝利)
セレナはこれ以降の5回の四大大会決勝での対戦のうち4回で、先の敗北のリベンジを果たすこととなった。メルボルンで初めて「セレナ・スラム」(同一年ではないが、グランドスラム4大会連続優勝)を達成したこの決勝での勝利もその一つだ。セレナは7-6(4)、3-6、6-4で勝利。
17度目の対戦:2008年「全米オープン」準々決勝(セレナが勝利)
この年のウイリアムズ姉妹による「ウィンブルドン」決勝ではビーナスが勝利したものの、セレナは「全米オープン」で持ち直し、二人の対戦の中でも有数の質の高い試合で、2度のタイブレークの末に7-6(6)、7-6(7)でビーナスに競り勝った。
22度目の対戦:2009年「WTAファイナルズ」ラウンドロビン(セレナが勝利)
ウイリアムズ姉妹はドーハでの1週間を支配し、決勝を含む2試合で対戦。しかし象徴的だったのはラウンドロビンでの手に汗握る一戦で、最終セットはタイブレークにもつれ込み、5-7、6-4、7-6(4)でセレナが逆転勝利。決勝はセレナのストレート勝利だった。
27度目の対戦:2015年「全米オープン」準々決勝(セレナが勝利)
米司会者のオプラ・ウィンフリーや俳優のジェイミー・フォックスらセレブリティが「全米オープン」会場であるUSTAビリー・ジーン・キング・ナショナル・テニスセンターに駆け付けた。姉ビーナスとの見ごたえあるナイトセッションの試合後、セレナの年間グランドスラム達成への挑戦はまだ続いていた。セレナは6-2、1-6、6-3でビーナスを倒したが、準決勝で世界ランキング43位だったロベルタ・ビンチ(イタリア)に敗れるという世紀の番狂わせをくらった。
28度目の対戦:2017年「全豪オープン」決勝(セレナが勝利)
ウイリアムズ姉妹が最後に対戦した四大大会決勝では、セレナはその年に生まれる娘オリンピアちゃんを既に妊娠していた。この試合での6-4、6-4の勝利で、セレナはオープン化以降の最多記録を塗り替える記念すべき23個目のグランドスラムシングルスタイトルを獲得した。
31度目の対戦:2020年「WTA250 レキシントン」2回戦(セレナが勝利)
これが二人の最後の対戦にならなければいいが、姉妹は新型コロナウイルス感染症の大流行後の非現実的な試合で対戦。観客は最小限で、このライバルたち二人が値するような重々しさは欠片もなかった。試合は3-6、6-3、6-4でセレナが勝利したが、我々は今年の「全米オープン」でよりふさわしい形で二人に最後の挨拶ができるだろうか。
(WOWOWテニスワールド編集部)
※「WTA250 レキシントン」対決したセレナ(左)とビーナス(右)
(Photo by Dylan Buell/Getty Images)