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昔はグラスコートだった「全仏オープン」がクレーコートである理由

写真は2022年「全仏オープン」のナイトセッションの様子

「全仏オープン」はテニス界で争われる4つのグランドスラム大会の1つである。球足が比較的遅く、より高く跳ねるクレーコートは、選手たちにとって肉体的にとても厳しいことで知られており、優勝しにくいグランドスラムの1つと見なされている。ジミー・コナーズ(アメリカ)やボリス・ベッカー(ドイツ)、ピート・サンプラス(アメリカ)といった元世界王者たちは、「全仏オープン」で優勝することはなかった。現在の「全仏オープン」はなぜクレーコートで行われているのか、その経緯をオンラインメディアのSportskeedaが紹介している。

1891年に始まった「全仏オープン」には、当初フランス人のクラブ会員たちしか出場を許されていなかった。また、当時この大会では芝コートで行われていた。グランドスラムという構想が生み出されたことで、初めての年間グランドスラムが開催されたのは1925年のこと。これにより、「全仏オープン」は、アマチュアや世界中の他の選手たちが出場できる大会となった。

それまでスタッド・フランセで行われていた「全仏オープン」は、1928年に5つのコートを持つ新たな施設で行われることになった。この施設はもともと、「デビスカップ」でのタイトル防衛に臨むフランス代表のために建設されたものだ。1年の中で2番目に行われるこの四大大会は、それ以降この地で開催され続けており、競技場の近代化のために何度か改良や改修が行われている。

1923年にアンリ・コシェ(フランス)、ルネ・ラコステ(フランス)、Jean Borotra(フランス)、そしてJacques Brugnon(フランス)の4人が、フランス代表として初めて「デビスカップ」に参加。4年後の1927年にフランス代表は、アメリカ代表を破り、「デビスカップ」での初優勝を果たした。これはフランスが翌年の「デビスカップ」を母国で開催する機会を得られるということでもあった。当時はまだ「チャレンジ・ラウンド」のルールが有効だったため、フランス代表は自動的に決勝への出場権を得た。

1928年の「デビスカップ」のために新しく建設されたのがローラン・ギャロス・スタジアム。スタジアム名には、第一次世界大戦で命を落とした有名なフランス人飛行士の名が冠されている。「デビスカップ」の決勝が、芝コートでなくフランスやヨーロッパでより一般的であったクレーコートで行われたのは、この時が初めてであった。

「全仏オープン」の開催場所が1928年にローラン・ギャロス・スタジアムに移った際、この大会での試合はクレーコートで行われ、サーフェスはこれ以来変わっていない。現在の「全仏オープン」では、赤レンガの粉末、白い石灰石を粉砕したもの、「クロンカー」と呼ばれる炭の燃え殻、そして粉砕した砂利を混ぜ合わせたものが、クレーコートのサーフェスに使用されている。20世紀の大部分にわたって、テニスがプレーされるサーフェスと言えば芝コートであった。例外は大陸ヨーロッパのクレーコートのみ。

そのほかの四大大会を振り返ると、「全米オープン」は1925年から1974年まで芝コートで行われており、1975年から1977年までの間は、緑色のクレーコートで行われていた。1978年以降はハードコートで行われている。また「全米オープン」は、3つのサーフェス全てで開催されたことがある唯一の四大大会である。「全豪オープン」は1925年から1987年まで芝コートで開催し、1988年にハードコートへと移行した。そして「ウィンブルドン」は、1877年に大会が開始して以来、サーフェスが変わっていない唯一の四大大会である。

(WOWOWテニスワールド編集部)

※写真は2022年「全仏オープン」のナイトセッションの様子
(Photo by Ryan Pierse/Getty Images)

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