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全仏で優勝できずキャリアグランドスラムを逃した10人の選手とは?

写真は「全仏オープン」でのケルバー

「全豪オープン」、「全仏オープン」、「ウィンブルドン」、「全米オープン」のすべてのグランドスラムで少なくとも1回優勝することを、テニスではキャリアグランドスラムと呼ぶ。「全豪オープン」と「全米オープン」はハードコート、「ウィンブルドン」は芝、「全仏オープン」はクレーで行われ、それぞれのサーフェスは選手に異なる試練をもたらす。

シングルスではこれまで、男子は8選手、フレッド・ペリー(イギリス)、ドン・バッジ(アメリカ)、ロッド・レーバー(オーストラリア)、ロイ・エマーソン(オーストラリア)、アンドレ・アガシ(アメリカ)、ロジャー・フェデラー(スイス)、ラファエル・ナダル(スペイン)、ノバク・ジョコビッチ(セルビア)、女子は10選手、モーリーン・コノリー(アメリカ)、ドリス・ハート(アメリカ)、シャーリー・フライ(アメリカ)、マーガレット・コート(オーストラリア)、ビリー・ジーン・キング(アメリカ)、マルチナ・ナブラチロワ(アメリカ)、クリス・エバート(アメリカ)、シュテフィ・グラフ(ドイツ)、セレナ・ウイリアムズ(アメリカ)、マリア・シャラポワ(ロシア)がキャリアグランドスラムを達成している。

この中で、4人の男子選手(レーバー、エマーソン、ジョコビッチ、ナダル)と5人の女子選手(コート、ナブラチロワ、エバート、グラフ、セレナ)は、各グランドスラム大会で2度以上優勝を飾っている。

一方で、これまでにレジェンド級の活躍を見せ複数のグランドスラムで優勝しながら、「全仏オープン」で一度も優勝できずにキャリアグランドスラムを逃した選手もいる。今回は、その10人の選手を紹介する。スポーツウェブメディアSportskeedaが伝えている。

1. アーサー・アッシュ(アメリカ)

アッシュは、「デビスカップ」にアメリカ代表として出場した初めての黒人選手だった。1968年にオープン化後初めて行われた「全米オープン」で優勝し、その後「全豪オープン」(1970年)と「ウィンブルドン」(1975年)も制覇。

「全仏オープン」でアッシュが最も良い成績を残したのは、準々決勝進出を果たした1970年と1971年のことだった。1970年には第4シードとして出場したが、第5シードのZeljko Franulovic(クロアチア)に屈した。翌年は第2シードとして出場し、Frank Froehling(アメリカ)とのアメリカ人対決に敗れた。

しかしアッシュは1971年にMarty Riessen(アメリカ)とペアを組み、男子ダブルスでの全仏優勝を達成している。

2. ジョン・ニューカム(オーストラリア)

ニューカムは1960年代から1970年代にかけて活躍した選手で、シングルスとダブルスの両方でNo.1を達成した数少ない選手の一人だ。ニューカムはオープン化前後でグランドスラムのタイトルを獲得しており、「全豪オープン」で2回、「全米オープン」で2回、「ウィンブルドン」で3回優勝している。

ダブルスではなんと17回もグランドスラムで優勝し、「デビスカップ」でも5回トロフィーを獲得したニューカムだが、「全仏オープン」では準々決勝より先に進むことはなかった。1965年と1969年にベスト8進出を果たしたが、フレッド・ストール(オーストラリア)、トム・オッカー(オランダ)にキャリアグランドスラムを阻まれた。

3. バージニア・ウェイド(イギリス)

元世界2位のウェイドは、オープン化後初、1968年の「全米オープン」女子シングルス優勝者だ。その後、1972年に「全豪オープン」、1977年に「ウィンブルドン」で優勝。「全仏オープン」では2度準々決勝に進出したが、1970年にはKaren Krantzcke(オーストラリア)に、1972年にはキングに敗れている。ウェイドはコートとペアを組んで出場した1973年の女子ダブルスで、「全仏オープン」のトロフィーを獲得している。

4. ジミー・コナーズ(アメリカ)

一人の選手が男子シングルスで圧倒的強さをみせたシーズンがあった。1974年、コナーズが出場した103試合のうち99試合で勝利した年だ。その年、コナーズはグランドスラム3大会で優勝を飾ったが、「全仏オープン」には出場することが出来なかった。

これはコナーズがイボンヌ・グーラゴング(オーストラリア)とともに、「全仏オープン」と日程の重なる「ワールド・チーム・テニスリーグ」に出場する契約をしていたからだった。このため、フランステニス協会の会長がその年の二人の「全仏オープン」出場権を剥奪した。

コナーズは、「全仏オープン」シングルスで4度準決勝に進出。また、イリー・ナスターゼ(ルーマニア)とペアを組んで出場した1973年に、男子ダブルスで準優勝している。

5. ステファン・エドバーグ(スウェーデン)

エドバーグは、オープン化以降シングルスとダブルスの両方で同時に世界一を達成した二人の選手の一人だ。グランドスラム6回優勝のエドバーグは、キャリアグランドスラム達成にあと一歩まで迫ったが、1989年の全仏決勝で17歳のマイケル・チャン(アメリカ)に敗れた。1986年には、アンダース・ヤリード(スウェーデン)とペアを組みダブルスに出場したが、こちらも準優勝に終わっている。

6. ボリス・ベッカー(ドイツ)

1980年代後半、エドバーグと白熱したライバル関係を築いたのがベッカーだ。互いに世界王者の座を奪い合い、グランドスラムでも6回ずつ優勝した二人は、「全仏オープン」で優勝できなかった点も共通していた。ベッカーは3度準決勝進出を果たしたが、いずれも敗退している。

7. ピート・サンプラス(アメリカ)

ビッグ3が台頭する前に、偉大なシングルス選手として称賛されていたサンプラス。グランドスラムでは計14回優勝を飾っている(「ウィンブルドン」7回、「全米オープン」5回、「全豪オープン」2回)。

しかし、サンプラスが「全仏オープン」で優勝することはなかった。最も良い成績を残した1996年には、その後優勝を飾ったエフゲニー・カフェルニコフ(ロシア)に敗れ、準決勝敗退に終わっている。

8. マルチナ・ヒンギス(スイス)

ヒンギスは、シングルスで5回、女子ダブルスで13回、そして混合ダブルスで7回と、計25回グランドスラムで優勝。シングルスでもダブルスでも世界女王となったヒンギスだが、「全仏オープン」では惜しくも優勝を逃している。特に1997年は優勝していれば年間グランドスラム達成だったが、イバ・マヨリ(クロアチア)に敗れ準優勝に終わった。

1999年にも再び決勝の舞台に戻ったヒンギスだったが、シュテフィ・グラフ(ドイツ)に優勝を阻まれた。

9. リンゼイ・ダベンポート(アメリカ)

現役中に4度の年末No.1を達成したダベンポートは、「全米オープン」(1998年)、「ウィンブルドン」(1999年)、そして「全豪オープン」(2000年)で優勝している。ダベンポートが最も全仏優勝に近づいたのは1998年、準決勝でその後優勝を飾るアランチャ・サンチェス ビカリオ(スペイン)に敗れた。

ダベンポートは、「全仏オープン」を含むグランドスラム3大会のダブルスで優勝している。しかし「全豪オープン」では6度決勝に進出しながら優勝には届かず、ダブルスでのキャリアグランドスラム達成も叶わなかった。

10. アンジェリック・ケルバー(ドイツ)

男女通じて現役選手で唯一人、「全仏オープン」で優勝すればキャリアグランドスラム達成となるところまで来ているのがケルバーだ。元世界女王のケルバーは2016年に「全豪オープン」と「全米オープン」、2018年に「ウィンブルドン」でタイトルを獲得。

「全仏オープン」で最も良い成績を残したのは2012年と2018年、いずれも準々決勝敗退に終わっている。

ケルバーは2016年の「WTA500 シュトゥットガルト」以来、クレーコートでのタイトルから遠ざかっていたが、先週「WTA250 ストラスブール」で優勝。キャリアグランドスラム達成への期待が高まっている。

(WOWOWテニスワールド編集部)

※写真は「全仏オープン」でのケルバー
(Photo by Clive Brunskill/Getty Images)

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